2010年台北マラソン参加レポート
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台北マラソン感想文 山田敦(21KM)

 ハーフマラソンは今年で3回目。2ヶ月しっかり練習した甲斐あって10kmくらいならほとんどダメージを残さず平気で走れるようになった。目標は21kmを最後まで止まらず走りきること、そして仮想ライバルの早川君よりも前でゴールすること。

 前半の飛ばしすぎがたたり後半に失速したこれまで2回の反省に立ってこの日はペースを抑えてスタートした。汗はあまり出ない、心拍は思い通りにコントロールできている、上々の滑り出し。今日はうまく行きそうだ、、、と思いきや、スタート後わずか3kmで右ひざがいきなりガクッときた。そんなバカな。練習後半でわずかに違和感を感じることはあったが、よりによって大事な本番でこれがいきなり激痛に変わるとは、、、仁愛路から中山北路へ右折するともう右足がまったく動かず走行不能な状態になっってしまった。完走など絶対にムリ。

 リタイヤしてMRTで市政府へ戻ろうか?少し走っては止まり、マッサージしては歩き、をくり返す。大直に入って10km地点を迎えるころにはもうMRTの駅も遠くなりリタイアの甘い誘惑にも見放されてしまった。もう歩いてでもゴールまで行くしかないな。みんなと打上げするにもリタイアじゃかっこ悪いし。

 iPodで西野カナとか広沢虎造とか(どういう組合せ?)聞いて気を紛らわせながら右足の痛みをこらえて歩き続けた。どうにかこうにかゴールまで帰ってきた。タイム2時間37分、何ともトホホな結果に終わってしまったな。2年前に1時間56分で走ったこのオレ様が。この敗北感、無念さを晴らすには打上げで自分らしさをアピールするしかないだろう。その夜、嫌がる学生諸君を無理やり引っ張って西門町の某カラオケルームへ立てこもった私でした。みんな遅くまで付き合ってくれてありがとう!
 (後日、ネットで早川君の記録を確認して小さくガッツポーズをとった私でした。)

初めて自分で自分を褒めてやりたい 早川友久(21KM)

 思えば遠くへ来たもんだ。12月とは思えない小春日和の霞の向こうに台北101がかすんでいる。頭の上には黄色と赤の派手なコントラストに彩られた圓山飯店の屋根。ついさっきまで101を見上げる場所に立っていたのに。

 ”厳命”は突然やって来た。山田会長から「学生は全員参加」の大号令の下、いつの間にやら台北マラソンに初参加することに。聞くと、後輩たちはフルだ、ハーフだ、と何やら物騒なことを話し合っている。大会HPを見ると、9キロコースというのも設定されているではないか。さすがに「児童組」の3キロではお茶を濁せないから9キロでいいのでは、と思っていると、他には誰もいないという。「まぁ、練習すれば大丈夫だろ」という甘い期待と「減量のため」という悲痛な願いを抱えて21キロにエントリーしてしまったのが年貢の納め時であった。

 そうと決まったらすぐにでも練習を始めるべきなのだが、大会一ヶ月前にはちょうど大学の中間テスト期間にあたる。たとえ1,2時間とは言っても練習している余裕が無い。もちろん無いのは心の余裕のほうだ。やっと試験が終わり「学生組」は台湾大学のトラックで朝の合同練習をしよう、と呼びかけるも反応が鈍い。なんだかんだ言って、学生さんも忙しいのである。このまま結局、学生組は一度も合同練習せずに本番を迎えることになる。

 台北101を遠くに拝む頃にはもうすでに歩いていた。足が重いのだ。自分では多少の練習を重ねたつもりであっても、身体はすでに練習不足の判決を下している。ふと目の前には「10キロ地点」の表示。時計を見るとちょうど90分が経過していた。思えばラグビー部だった高校時代、練習の一環として走らされた山道は一周が約10キロで、いつも45分程度で走り切っていた。今は、ちょうど倍だ。月日はあれから倍も経っていないのに、体重も倍になったわけではないのに、タイムは倍になってしまった。運動不足に練習不足、それに馬齢も重ねたか。

 スタート前は圓山からMRTで帰ればいい、などと軽口を叩いていたが、走れなくともまだ何とか足は前へ進む。もう少し行ってみようか。

 基隆河沿いの長く退屈な一本道を終えると、勾配が増えてくる。相変わらず101は遠い。足の疲れに段々と痛みも加わってきた。こうなるともはや体力というより気持ちの問題である。なるべく101を見ないようにして足を運ぶ。101が先ほどより少し大きくなった安心感を期待しつつ、まだ遠くに聳えている虚脱感に襲われるのが怖いからだ。気持ちはもはや中学生の初恋である。

 そんな101に恋焦がれる私を助けてくれたのはバナナだった。給水所のバスケットにバナナが用意されている。ナイフで3分の2ずつにカットしてある。今まで食べたバナナのどれよりもうまかった。ラグビー部だった高校時代、夏合宿の菅平で飲んだ水と同じくらいうまかった。夢中になってあっという間に数本を平らげてしまったが、ふと見た101の姿はけっこうな大きさだった。この橋を渡りきれば基隆路。その延長線上には憧れの101様が待っている。

 終わってみれば3時間オーバー。お世辞にも褒められたタイムではないがとにかく帰ってきた。よく考えればあのコースをバイクで走ってもかなりの時間が掛かる。それをいくら交通規制されていたとはいえ、自分の足で3時間ちょっとで戻ってきたのだから良しとするべきか。初めて自分で自分を褒めてやりたいと思います。

念願の台北国際マラソン 渡部暢彦(42.195KM)

 台湾に留学している以上、台湾でしかできないことをとにかくたくさん経験しようということで、これまで自転車で台湾一周、日月譚遠泳大会、ドラゴンボートといったことにチャレンジしてきた。1月に帰国を控えていることもあって最後に大きなことを成し遂げたいという気持ちと稲門会からのお誘いで今回のマラソンへの参加を決意。そしてやるからにはフルマラソン。日本にいたときダイエットのために週3日ペースで10km走っていたり、失恋からやけになりクリスマスイブの夜に恋人たちでにぎわうみなとみらいへ20km走りに行ったりした経験があったことから生まれた根拠のない自信によって無謀な挑戦が始まった。

 試験やらレポートやらを言い訳に本番1ヶ月前まで練習は手付かずだった。ようやく焦り始めて走ってみるも、5kmで息は切れ切れ、膝はガクガク、そして高校時代にテニス部で患った腰に再び激痛が走る。社会人の先輩方が順調に練習を進める中、本番直前まで療養生活を送る羽目に。

 こんな状態で迎えた本番当日、会場には夜も明けぬ時間から選手たちが集まっていた。学生組で集まり準備運動、荷物の寄託をしているとあっという間に開始の時間となる。

 スタートの合図が聞こえるもあたりは人、人、人でスタートのゲートをくぐるまで10分かかった。仁愛路を越えて中山北路の先まで行っても人は多かったが気持ちよく走ることができた。時速10km強のスピードを出しても疲れない。調子はよかった。次々と他の参加者を抜いていった。時折休憩所で水をがぶ飲みし、ストレッチをする。この勢いでペースを落とすことなく市民大道西端の折り返し地点の先まで来た。この時点での走行距離、25km。

 このあたりから左膝に違和感を感じ始めた。関節が痛い。左膝をかばって走っていると、今度は右膝が痛くなった。これでバランスよくなったしあと10kmちょっと走れば好きなだけ休めるじゃないか、と自分に言い聞かせる。そんな中、休憩所にあるバナナ、板チョコが最高においしかった。両手でわしづかみにしてひたすら食べて走り続ける。

 坂道の先にあるはるか東の折り返し地点を過ぎ、基隆路に戻ってきたときには全身が痛かった。気力で進み続けるととうとう市政府が見えてきた。沿道の人々から多くの声援を受け、死に物狂いの表情でついにゴール。時間は4時間16分41秒。初心者で病み上がりの自分にとって、思いもよらぬ好記録。

 ここまで自分を追い込んで普段できないことに挑戦する。帰国直前にこの達成感を味わうことができたのは大きな収穫であった。

フルマラソン 川畑賢祐(42.195KM)

 僕は生まれてこの方、デブという言葉とは無縁だった。しかし、去年の夏米国での交換留学を終えた僕は、ぶくぶく太った醜いアメリカンボディーを身にまとい日本に再上陸し、あんなに優しかった家族にはドブネズミと罵倒され、友人からはビックマックというあだ名を頂戴した。運動は大好きだけど、なんせスタミナと根性の無さには定評がある。根拠のない自信に溢れ、自分には大器晩成型だと言い聞かせてきた。

 寮の先輩の命令で参加した去年の河口湖マラソン。前夜に騒ぎすぎて宿の女将さんに怒られ、本番当日も女将さんに叩き起こされるまで起きなかった。あれからもう一年も経った。二回目のマラソンは稲門会の先輩方と一緒の参加である。当日は勿論一回では起きない。嫌な音を奏でる目覚ましのスヌーズ機能に起こされる。天気は期待していた大雨とは対照的な晴天。もう出発するしかない。

 スタートして20キロ付近で、自分の練習不足を嘆いた。根性の無い自分を再確認して、嫌気がさした。スリッパを履いて走る台湾人のスーパー老人にはあっという間に追い抜かれ、フルマラソンのゼッケンをつけた子犬にもあっさりと抜かれる。この犬は一体何歳の部に分類されるんだろうと、馬鹿みたいなことを考える。何度もギブアップしようと思ったが、目の前を一生懸命走っている老若男女から得た勇気と、稲門会の方からのプレッシャーのお陰で、何とか5時間10分を掛けて走り(歩き)切った。

 改めて自分のスタミナと根性の無さにはがっかりしたが、最低限自分の足でゴールまで戻って来ただけでも実を言うとホッとしている。そして、一週間ほど続いた筋肉痛が消え去ってしまったのが、心なしか寂しい。

 最後に、稲門会として声を掛けて下さったり、練習会や打ち上げまで開いて下さったり、皆様には本当に感謝しております。有難うございました。また走りましょう。

台北マラソン感想文 伊藤功(21KM)

 ハーフマラソン、それは私にとって未知なる挑戦でした。

 思い返せば、学生時代から長距離を走ることが嫌いで、5km以上の長い距離を走ったことがありませんでした。こんないわゆる「草食系」人間の私に、果たして21km走りきることができるのか本当に不安でした。また、本番前の練習で足を痛めてしまい、私の草食性が練習の段階で露呈してしまう始末でした。なぜ軽いノリでハーフを走るなんて言ってしまったのだろうかと自責の念に駆られる日々。それでも、新しいことに挑戦できるという期待感に支えられ、なんとか走る決心がつきました。

 本番前日に医者に行き、足首にテーピング、痛み止めの錠剤をもらって準備万端、いざ、本番へ。当日の朝、多くの人たちでごった返す中、草食人間の闘志にもゆらゆらとわずかながら火がともり、いざスタート。足の痛みもそれほど無く、自分のペースでいける所まで突っ走ろうと無我夢中で走りました。給水やバナナなど軽食に群がる人々を尻目に、快調なペースで疾走。よしいけると思ったのも束の間、ゴールまで残り5kmの地点で薬の効果が切れたのか、足の痛みが強くなり、無念。その後は普段とは違った台北の街並みを楽しむことに専念し、ゆっくり歩きながらゴールしました。「マラソンとは自分との対話である」との通り、走っている間は「きついな、でもまだいけるかな、やるからには完走しないとな、沿道にいるお姉さん綺麗だな…」などとたわいもないことを考えつつ、走りながら自分との問いを楽しみました。

 結果から見れば3時間をなんとか切るひどいタイムではありましたが、ゴールした後、走りきった満足感と充足感で胸がいっぱいになりました。このハーフマラソンを通して、走ることの喜びを初めて感じました。出来るならもう一度万全の状態でハーフマラソンに挑戦し、走ることの喜びを再び実感してみたいと思いました。

 今思えば、ハーフマラソン、それは私に走る喜びと楽しさを教えてくれた21kmの小旅行でした。

 私をマラソンに誘ってくださいました、山田会長には大変感謝しております。
どうもありがとうございました。

2010年 台北マラソン参加報告 藤井一博(21KM)

 あらためまして、早稲田大学競走部OBの藤井です。2度目の台北マラソンに参加してきました。

 昨年初参加して市民マラソンの魅力を感じ、来年はもっといい走りをしたい!と決意したことから、昨年よりも早めに体づくりを開始。しかしながら、働く人間には様々な障壁(飲み! ゴルフ! その他諸々・・・)があり、結局今年も練習不足のまま当日を迎えることになりました。

 実は、一週間前の合同練習会で左足付け根を傷めてしまいました。「少しでも痛いと感じたら無理せず休んでください、それが一番早い治療法です」と皆さんにアドバイスした手前、「走れませんでした」などと言えた立場ではありません。とにかく走らず回復を待ちました(その間も連日の飲み・・・)。 有言実行! とにかく我慢して走らなかったことが奏功し、前日に軽くジョギングした時には痛みを感じませんでした。

 快晴の中スタート。昨年の反省を生かして今年はかなり前のほうからスタートしたつもりでしたが、やはり大混雑。ようやく自分のペースに乗れたのは3,4Kあたりでしょうか。

 台北マラソンの魅力の一つが沿道の応援。今年も仁愛路〜中山北路にかけては、様々な衣装の人たちが声援をおくってくれます。普段は絶対に走ることができない大通りのど真ん中を、声援を受けながら走る、是非おすすめしたいです。

 5K、10Kまではかなり快調。目標の1K4分ペースをやや上回って通過。痛めた左足も大丈夫。

 10Kを過ぎたあたりから景色が徐々に寂しくなると同時に、ペースも鈍ってきました。このあたりはやはり練習不足の影響でしょうか。

 15Kくらいからは高架道路の上を走りますが、これがまたキツイ! さらには快晴ゆえに気温もぐんぐん上昇しているようで、ペースがさらに落ちていきました。

 20K前後の地下道では歩きたくもなりましたが、なんとかゴール!

 結果は1時間24分33秒(全体順位は77位 30歳代の分では11位)。昨年の1時間26分22秒(87位)と比較する約2分改善し、ほぼ目標の1K4分ペースでゴールできたことはまずまずの結果でした。

 日本では、先日の箱根駅伝で後輩たちが激走し、見事18年ぶりの総合優勝を成し遂げました。祝賀会にも参加してきましたが、学生たちのひたむきな姿に大きな刺激を受けました。

 2011年は、今度こそ日頃のトレーニングを継続した上で参加したいと思います。

「台北マラソン参加記」 岡本宏一(21KM)

 初めてマラソン大会のハーフ21kmに参加した。
結果は2時間1分10秒で、50-59歳クラス290位、全21km参加者中2611位だった。
目標タイムの2時間を切ることもできず、順位もこれほど下位とは・・・とレベルの高さに驚いた。
同じ世代でも10位以内に入るためには1時間30分をきらなければならない。上には上がいるものだ。

 普段は週に一度のサッカーと週に4〜5日程度の朝30分のジョギングが習慣となっているから、完走は心配していなかった。しかし、市政府前のスタート直後から仁愛路の中山南路に向かう直線は勝手が違った。人・人・人で埋め尽くされており、接触して転倒しないように注意が必要で普段のジョギングの三倍くらい気を遣った。実際に何人かが転倒しており、博愛座を譲られるようなおじいさんが転んでおでこから血を流していた。

 そこで、私なりに見て”いい走り”をしている人を見つけ、ペースメーカになってもらってついて走ることにした。途中何度かはぐれはしたが、中山北路から忠烈祠あたりまでいい具合にひっぱってくれて10kmの通過は58分43秒といいペースだった。そして明水路から堤頂大道の登りも安定したペースで走ることができた。

 一つの失敗はナイキがスポンサーだということを知り、普段のアディダスのシューズ、靴下からナイキのシューズと靴下に替えたことだ。足の裏に水ぶくれのマメを作ってしまい、ボディーブローのように痛み出した。ついに18km付近では足裏をかばった為にももの付け根まで痛くなった。残り3キロを15分で走らなければ2時間はきれない。しかもアップダウンがある。ゴールのイメージをふくらませながらペースメーカーについて行ったが、見失ってしまった。そして1分強の目標オーバー。

 今回、マラソンの楽しさをいくつか学んだ。
第一は、沿道の声援がとても励みになること。開南高校生徒の声援とハイタッチは正直元気がついた。
第二は、給水地点の雰囲気がお祭りのように楽しいこと。接触が危険ではあったが、水やスポーツドリンクを飲んでも飲まなくても、スタッフや参加者たちが生き生きとしていて活気があり、自分の気持ちも高ぶった。
最後は、やはり達成感。身体の疲れと足の痛みを忘れさせる気持ちの充実さは代えがたいものだ。

 そして今は、二度目の参加となるともう少し走り方に工夫できるかなと思いつつ、朝のジョギングにいそしんでいる。続けることが大切だと信じている。

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