台北、そして広島。夢のような早稲田大学野球部遠征に感動。

2008/04/03
井上 浩(元台北稲門会幹事)

大成功だった早稲田大学野球部の台湾遠征。そして、その翌週には早大創立125周年記念大学野球交流戦として、広島で行われたシカゴ大学との交流試合。台湾から帰国後、広島に移り住んでいる私にとっても実に感慨深いものであり、ここにレポートさせていただきます。

 台北稲門会・早稲田台湾校友会の皆様、大変ご無沙汰しております(といっても、私が誰かご存知ではない方が結構多いかもしれませんが・・・)。台湾を離れて、はや3年が経とうとしています。現在、広島勤務のため、日台稲門会には入会しているものの、なかなか活動にも参加できないのが残念です。しかし、台北稲門会のホームページで皆様のご活躍を拝見しており、北村友雄元会長などからも台湾や早稲田に関する色々な情報も頂き、未だ心は台北稲門会の一員のつもりです。

 そうした中、3月15、16日の早稲田大学野球部の台湾遠征は大注目でした。川田会長のコラムや渡邉義典さんから頂いたレポートからも、大成功であった様子をうかがい知ることができ、ご尽力された方々に感服しました。ただ、私個人としては、台湾にいることの出来ないことをとても残念に思った次第です。

 ところが、台湾遠征の翌週23日には、なんと、早稲田大学野球部が広島に遠征してシカゴ大学と試合をするというではありませんか!これまた、びっくりしました。

 皆様ご存知のように早稲田大学は創立125周年を迎え、125周年記念大学野球交流戦が行われることとなりました。対戦相手はシカゴ大学です。1905年に早稲田大学野球部は日本野球史上初となるアメリカ遠征を行っており、1910年から1936年までシカゴ大学と5年ごとにお互いに両国を訪問して、10回の交流試合を行っていました。そして、(これは私も今回初めて知ったのですが)、早稲田のスクールカラーであるエンジは、1905年のアメリカ遠征当時のコーチであったシカゴ大学の元選手(ブレッド・メリーフィルドさん)からシカゴ大学と同じエンジのマークを勧められたことから、使用されることとなったそうです。今もシカゴ大学のユニフォームはエンジを基調にとてもかっこいいものでした。このように、早稲田とシカゴ大学とは、とても深い縁があるのです。

 では、「なんで、その開催が広島で?」ということですが、広島市民球場は今年で50周年を迎えるのです(なお、現球場は今年が最後で、来年からは新たな球場が誕生します)。このため、地元の早稲田関係者のご尽力があって、早大125周年と広島市民球場の50周年を記念して、72年ぶりに広島市民球場でのシカゴ大学との記念交流戦が実現したのです。両チームの選手は、当日、平和記念公園を訪れ、原爆慰霊碑に献花されたそうです。

 試合当日は、あいにくの大雨で非常に寒い日でしたが、広島市民球場には約1万4千人もの観衆が集まり、地元新聞でも大きく取り上げられました。先発は、斎藤佑樹投手で5回を無失点、9奪三振の好投。打線も上本博紀主将が4安打を放つなど19安打の猛攻となり、結果は15対0と早稲田の圧勝。ただ、シカゴ大学の選手にとっては、今回は飛行機の遅れなどで超強行スケジュールとなった影響が大きく、気の毒な感じです。


 その夜は、リーガロイヤルホテル広島で広島稲門会を中心としたウェルカムパーティが開催されました。両チームの選手は、寒い雨中の試合後で疲れていたと思いますが、広島風お好み焼きなどを食べながら、多くの参加者と和気あいあいと歓談されていました。私も、主力の斎藤投手や松下投手と直接お話しすることができました。

 今回の早稲田大学野球部の台湾、そして広島への遠征は、台湾から帰国後、広島に移り住んでいる私にとって、実に感慨深いものでした。

 現在、早稲田野球部は、應武監督をはじめ、上本主将、松下投手など地元広島出身の監督・選手が活躍されています。是非、6大学の春季リーグで4連覇を果たしてもらいたいものです。そして、今回のようなスポーツを通じた早稲田と台湾やシカゴなどとの海外交流が、これからも益々盛んになることを願っています。

 最後になりますが、早稲田台湾校友会・台北稲門会の益々のご発展を祈念しております。
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