母校野球部台湾遠征奮戦記
2008/03/18
川田 博幸 (台北稲門会会長) |
高橋前会長の帰任に伴い2月22日から第8代台北稲門会会長に就任しました。
就任後の初仕事が降って湧いたような母校野球部の18年振りとなる台湾遠征対応でした。
結果としては大成功の遠征だっとと思います。まずは、親善試合に駆けつけ応援頂いた皆様、日本人学校での交流に参加された皆様、ウエルカムパーティーに参加された皆様、そしてこれら行事を陰で支えてくださった皆様に厚く御礼申し上げます。
前日14日、沖縄キャンプから台湾に到着した選手たちが、ついに天母球場に姿を現した。
春に4連覇を目指す野球部にとって、この台湾が最初の一歩となることに感動を覚えた。
打者上本選手に第1球目が投じられ、18年振りの台湾遠征親善試合が開始された。
これに先立ち、応援スタンドでは、日台稲門会、行政書士稲門会のご協力で来台していただいた元応援部部長、山下政行行政書士稲門会幹事長の指揮のもと、校歌”都の西北”が斉唱され、神宮球場気分が出てきた。
予報では曇り時々雨であったが、天も遠征を祝福したようで晴天。応援席には交流協会 池田代表ご夫妻をはじめ700人以上の観客。早稲田側応援席には校旗、大学本部から頂戴した応援小旗などの応援グッズ、今回台湾で制作した応援横断幕・メガホン・選手紹介兼校歌、応援歌記載シートを用意、小旗、メガホンなどを配布し応援ムードを盛り上げた。また、鳴り物として日本人学校から和太鼓をお借りし、伴奏CDも用意した。和太鼓は日本人学校卒業後現地高校に通う、なんとも愛らしい牛丸さんに叩いてもらった。
試合は1回表に早稲田が2点先取した。これには敵失もからんでいたので、スタンドでは楽勝ムードが出てきた。池田代表は親善試合なので一方的な試合展開では困るなアと心配していた。
そして1回裏。いよいよ斉藤祐樹投手の出番が来た。割れんばかりの声援とカメラのシャッター音。若い娘は皆ネット近くに移動した。やはりスターなのだ。調子はよさそうなので、スタンドではより一層楽勝ムードが漂い始めた。
しかし、途中から雲行きは一変。斉藤投手は5回まで零封したが、ライナー性、ホームラン性の打球を何度も浴びていた。それもそのはず、文化大学は1昨年の学生チャンピオンで、前日まで行われていたオリンピック予選にも複数の選手を送り込んでいる強豪だった。
斉藤投手交代後は完全に流れが相手側に移り、1点返され、ストッパーエースの松下投手を7回から投入したものの、劣勢は否めない。相手選手の体つきは母校選手より2回りは大きい。9回裏の守備では、悲鳴にも似た上ずった声での声援も出ていた。しかし、結局は3対1で勝った!!。後日談だが、野球部関係者は、当日は逆風だったので、ホームランを浴びずに済んだが、それがなかったら負けかもしけないと言っていた。
当然、文化大学関係者の悔しがり方も相当で、試合終了後に早速、来年リベンジ戦を行いたいとの申し出があった。
試合終了後には日本人学校での交流会が開催された。
試合が長引き到着が大幅に遅れたが、友部校長先生をはじめとした学校関係者、野球部コーチの相原さん、ご父兄そして主役の生徒の皆さんが選手を温かく出迎えてくれた。この日が終業式でお忙しいにもかかわらず、歓迎準備が入念で和太鼓部の演奏、ブラスバンド部の演奏で選手は迎えられた。
その後、学校グランドで学校野球部部員たちへの野球教室を行った。生徒も喜んでいるようであったが、母校野球部部員も試合中とはうってかわって活き活きとプレーしていた。皆野球が好きなのだと痛感した。野球教室は1時間弱ではあったが、非常に有益な交流であり、父兄、生徒の中に早稲田ファンが一挙に増えたような気がした。
最後に生徒から手作りの千羽鶴(実際には、台湾なので888羽)が贈られ、野球部からは全員のサイン入り大型ボールを寄贈した。
慌しい野球部部員はその後ホテルに帰り着替えし、新光ビルで開催された校友会、稲門会、文化大学主催の歓迎レセプションに参加した。
校友、文化大学野球部、日本人学校の生徒・父兄の総勢200人以上のパーティーとなった。
あちこちに親睦の輪が広がり、、無事盛会の内に終了した。
ああ、時の経つのはなんと早いことか。
対戦相手はヤンキースで活躍する王健民の母校である。
試合は白井総長の始球式により始まった。
白井総長は15日(土)夜に来台され、16日9時から「早稲田大学国際交流センター(通称:台北事務所)」予定候補地の視察および打ち合わせを行い、12時からは球場内で記者会見も行ない、当日は試合途中で帰国された。総長職も激務なのだ!!
こうした総長の頑張りに応えたのか、試合は前日とうってかわった早稲田優位の試合展開。応援は当日朝に帰国された山下さんに変わり、台湾在住の元応援部の曽根さんが指揮した。さすがに2日目になると牛丸さんのバチさばきも早稲田応援団らしくなり、関係者の進行もスムーズになってきた。加えて早稲田の攻撃のリズムがよく、毎回のように塁上をにぎわせ、時に得点もするので応援の回数も増える。コンバットマーチが轟き、そして全員起立して小旗、メガホンを振っての”紺碧の空”が高らかに歌い上げられた。
無論、神宮球場で本職の応援団の指揮のようにはいかないが、にわか作りのしろうと軍団としては120点の出来で、皆がそれぞれ何年か振り、何十年か振りに此処台北で神宮での学生気分を十分に味わうことが出来た。
試合は6対0での快勝。投手も先発のエース須田投手から150キロ豪腕の大石投手まで皆が本来の実力を発揮していた。斉藤君の出番はなかったが、選手はイケメン揃いなので、好みの選手にも多様化が出てきて大きな失望感はなかった。
試合終了後は、これが最後となるので、多数の方が残って”都の西北”を斉唱した。昭和20年卒業の台湾の方、これから早稲田を目指す日本人学校生徒、老若男女を問わず、起立し手を振っての校歌斉唱とエール。そのとき、すぐ前にいた若目の男性がすこし音程がずれてはいたが、大きな声で気持ちよさそうに歌っている姿、腰が少し曲がった大先輩が孫を連れて歌っている姿を見て、思わず目頭が熱くなり、声が詰まってしまった。
「早稲田はすばらしい!!」
今般の野球部遠征は話の話として4月に実施されるとの情報はあったが、今回の3月日程が具体化したのは2月初旬。関係団体と早稲田関係との役割分担等がやや明らかになったのが2月下旬。それから、目が回るほどの忙しさで準備作業が進められた。
台湾では校友会、稲門会挙げての対応となった。これを聞きつけた日台稲門会、行政書士稲門会からは、費用面を含めた山下さんご派遣の労をとっていただいた。また、台湾OBの北村元会長、岩永元台湾工商会理事長にはいろいろなお口添いをいただいた。ご寄付を頂いた方々も数知れずこの紙面では全てを書くことが出来ない。
大学、台湾、日本を巻き込んだ怒涛のような1カ月が終わった。関係者の集中力と成功への熱意そして早稲田の結束力、母校愛のすばらしさに身震いするほどの感激を覚えた。
「”都の西北”万歳!!」 |
|