2007年ロードレースシーズンを終えて
2008/01/02
山田敦(S59政経) |
前回のコラムで開幕戦とそれに続く花東レース初日での優勝について報告させていただきました。あれから半年が過ぎ2007年のレースシーズンがようやく終わりました。「ようやく終わった」としか言えない今の自分は、、、今回は苦しかった後半戦のレースについて報告させていただきます。
5月12日、美しい海水浴場で有名な台北縣福隆をスタート・ゴールとして金瓜石、九フン、双渓などを一筆書きに一周する約60kmの東北角ロードレースが行われた。このレースは上り、下り、平地巡航、激坂上りという異なった4つの走力が要求される複雑なレースで距離が短い割には難度がB級に設定されている。しかし、このレースのポイントはただ一つ。後半の平地区間を誰と組んで走れるかに尽きる。
スタートからの海岸線約20kmはウォームアップ区間だがエリートクラスが先頭を引いているのでかなりのハイペースで自分としてはけっこうキツイ。観光地として名高い金瓜石から九?への高低差500mの急な上りで一気に全開走行となる。まだレースは始まったばかりだがここが勝負どころ。全力で上り同年齢クラスの選手達を引き離すことに成功した。
九フンから双渓の10kmは高低差500mのワインディングロードを一気に下るアマチュアレースとしては珍しい危険なセクション。下りを苦手としている自分だが後続に抜かれることなく双渓まで下りきった。作戦通りここからの平地15kmを元気の良い5人の若者と列車を組んで走ることができた。平地走行は空気抵抗の関係でどれだけ単独で頑張っても多人数で先頭交代をする集団走行にはかなわない。最初の上りで遅れた選手達には自分達の順調な列車を追い越す力は絶対にないはずだ。
福隆まで戻ってくるとゴールは街外れの山の中腹に設けられている。ところがこの最後の2km、上り200mは半分以上の参加者が自転車を降りて歩くしかないしかない激坂だ。最高傾斜は20%以上。恐らく自分が知る限り台湾で行われるレースの中で最も厳しい坂だと思う。まんまと作戦が的中して勝てることは確実だったのでこの坂もリラックスして淡々とクリア。同クラスの2位に4分以上の大差を付けてゴール。レース運びとしては100点満点。これで今期4戦3勝、正に絶好調。
5月27日、台湾が誇る世界有数の自転車メーカー、ジャイアントの冠大会はそのお膝元、台中縣大甲で行われた。公道の周回コース(11km×3周)で開催されるので安全のため年齢別クラスごとに分かれてのレースとなった。去年は我が師匠、全日本監督三浦恭資さんの参戦でとんでもない高速レースになったのに今年は最終周回までお見合い状態が続き全くペースが上がらない。勝負はゴール前300mのスプリント勝負。もがきにもがいたものの最後の一人を追い切れず2位でゴール。優勝は花東2日目の勝者、ライバルのRさん。自分の体力が落ち始めていることとこの時点での彼との力の差を思い知らされた。
この春、次女の高校入学を機に家内も一緒に帰国して4月から人生はじめての本格的な単身生活が始まった。家族一緒の時にはこんな自分でも多少の遠慮はあって自転車練習にも一応は制約があった。一人になったら思いっきり好きな時に好きなだけ練習できる。夜はローラー台での室内練習も取り入れよう。土日は一日自転車ざんまいだ。そうなれば当然もっと強くなれる、と思っていたのだが、、、
実際に一人暮らしが始まってみるとまず自宅での生活習慣が崩れ始めた。オーディオ、読書、深酒等々のおかげで夜更かしが多くなる→朝なかなか起きられない→練習量が減る、という単純な悪循環。さらに6月には夏カゼをこじらせて半月ばかり自転車に乗れなかった。これが後半戦に大きく響くことになる。
8月26日に予定されていた宜蘭太平山ヒルクライムレースが道路を管理する林務局から週末開催を断られ平日の月曜日開催となった。このため多くの選手が参加できないという理由でこのレースがシリーズ戦から外されることになった。本来であればガッカリする場面だがこの時の自分は正直言ってホッと胸をなでおろしていた。この時点の体力ではこの試合に勝てないことがわかっていた。
8月25日、太平山のふもと宜蘭縣三星郷牛闘で距離20kmのスプリントレースが開催された。今年行われた平地レースとしては最も距離が短い。出張先のメルボルンから戻ったのが前夜遅くで寝不足のまま早朝現地へ向かった。40才、45才、50才の3クラスで同時にスタートしたレースは激しい雨の中、かなりハイスピードの展開になったが集団はばらけることなくゴール前2kmで150mを上る最後の坂に差しかかった。ここで一気に集団の先頭に立ち勝負に出た。短い距離なら上りには自信がある。一気に加速して2番手の選手との間隔が50mくらいに広がった。限界に近い心拍数200で上り続けた。このまま最後まで逃げきれるだろうか。最後は心拍が未体験の210まで上がった。しかし残念ながらゴール前200mで後続の3選手に捕らえられた。3人は40才クラスの選手でこの中に同じクラブの仲間Lさんが含まれていた。「Lさん加油!」と声をかけ3人を見送りそのまま少し遅れて自分もゴール。40才はLさんが見事に接戦を制し、45才は私が優勝。チームメートとしてお互いの健闘を讃えあった。勝ててよかった。これで6戦4勝。しかし相変わらずカラダが重い。練習すれば疲れるし休んでも疲労が抜けない。
心拍数の上限にはかなりの個人差があるが一般的には<220−年齢=最大心拍数>というのが目安とされている。この計算式によれば47才の私の場合173が最大心拍数となる。上述のレースで210まで心拍が上がった時にはさすがにこれはヤバイと思った。自分でも心臓への負担は相当なものだと思う。マラソンや自転車レースに理想的なのは基礎心拍数(安静時の心拍数)が低くて最大心拍数が高いというパターンだがこういう人はなかなかいない。私の場合は残念ながら基礎心拍数は55くらいでそれほど低くない。非力なエンジンを無理やり高回転で回しているような感じだろうか。
アジアで最も過酷と言われる合歓山ヒルクライムにはこれまで2年連続して出場している。ゴール標高3275m。上り標高差2775m。コースがあまりに厳しいため完走を果たした時の喜びは他のレースとは比べ物にならない。
トレーニング不足のまま9月9日のレース当日を迎えた。埔里市内をスタートして平地を15km。ここから霧社への上りにかかるとすぐにこの日の自分が不調であることがわかった。暑い、苦しい、体が思うように動かない。コースがこの先どれほど厳しいかがわかっているだけにどんどん気持ちが萎えてくる。翌週はシリーズ最終戦、阿里山ヒルクライムを走らなければならない。何とか最後まで走りきりたいがここで体力を消耗しすぎると翌週に疲労を残すことにもなりかねない。次々と消極的な考えだけが頭をよぎる。もう走れない。高度2300m、距離40km地点、ゴールまで15kmを残して路肩に自転車を寄せた。レースを始めて4シーズン目にして初めて経験するリタイヤの苦い味。
合歓山から戻って愛車のフレームに小さな損傷があることがわかった。ただしそのことは今回のリタイヤとは全く関係ない。周囲から、このままの状態で乗り続ければ必ずフレームが壊れると言われ新車購入を決意した。自分は自転車機材やそのブランドには全く興味がないので欲しいモデルなどは全くない。クラブの代表でもある自転車店の老板に薦められるまま阿里山ヒルクライムまでの1週間で完成させるという約束でスペイン製の最新フレームで新車を組んでもらうことになった。
たった1週間で練習不足、体力不足を解消できるはずもない。9月15日、今季シリーズ最終戦、阿里山ヒルクライムの日を迎えた。世界でも最新鋭に数えられるスペインブランドの軽量カーボンフレームを投入したことだけがこの日唯一の強みだろうか。しかし機材の良し悪しとレースの成否とは全く関係ないという持論を持つ自分としてはこれで好成績に結びつくとはどうしても考えられない。
80Kmで2200mを上るこのレース。11月開催だった昨年の比べ2ヶ月早いこの日のレースは暑さとの戦いになった。カラダの状態は合歓山とあまり変わらず不調で重い。まったく良いところなしで走り続ける。汗の量も多く補給飲料を飲み続けた。最後は女子選手やマウンテンバイククラスの選手にも抜かれる始末。自分がこれほどの不調にあえいでいることを同じクラスのライバル達は知らない。もしもここでリタイヤすればシリーズ戦ポイント首位の山田に勝とうと必死で走っている選手達に申し訳ない。何とか完走だけはしないと。
3時間34分、昨年よりも19分遅い記録でようやくゴールにたどり着く。クラス11位と今年最低の成績で完走の2ポイントだけを加算して今年のシリーズ戦が終わった。
結局、今年は7戦中4戦でクラス優勝。シリーズ前半で稼いだ貯金が効いて45−49才クラスの年間優勝を獲得することが出来た。またすべての年齢を合わせた市民クラス全体でも年間ランキング3位でシーズンを終えることとなった。競技を始めて4シーズン目の結果としては大いに満足している。しかしできれば万全の体調、精神を維持したままでこの成績を受けたかったという思いが残る。一年を通して体調を管理し競技に対する強い気持ちを持ち続けることの難しさを痛感した次第である。
阿里山以来、10月、11月はレースとは少し距離を置いて自転車と向き合うようにした。ゆっくりサイクリングしたりトレッキングバイクで温泉へ行ったり。11月下旬、久しぶりに来台した三浦監督と二人で彰化八卦山をサイクリングしたのは楽しかった。また稲門会有志で参加した12月16日の台北マラソン9kmラン出場のために時々走る練習もした。すると徐々にロードレースの疲れが取れて体調が少しずつ良くなってきた。
12月9日「ネバーストップ陽明山」
冷水坑ゴールへの急坂を立ちこぎする筆者 |
そんな折、12月9日、陽明山で行われたネバーストップ陽明山というサイクリングイベントに出場した。故宮から仰徳大道、陽金公路で陽明山を越え北海岸の金山へ。そこからさらに3つの峠の上り下りを繰り返し高さ700mの冷水坑へゴールする75km。トータル2200mを上るその名のとおりの難コースだ。自転車は迷った末に新車ではなく損傷部分を補修した以前の愛車を選択した。軽くて硬いスペイン製の新車は自分には剛性が高すぎてまだ乗りこなせていない。ゴルフクラブで言うとシャフトの硬すぎるドライバーといった感じだろうか。目標はイーブンペースで走り切ることだけ。自分としては思った以上にカラダが動き最後の上りで息切れしたものの十分に力を出し尽くして走り切ることが出来た。若き友人、エリートクラスの栗田さんが3時間4分で見事に総合優勝。自分も好調だった昨年とほぼ同タイムの3時間32分、完走者約800人中、総合10位でゴール。何とか来年につながる走りができたことが何よりの収穫だった。
どの年齢別クラスでも2年続けてチャンピオンになる選手はなかなかいない。やはり勝つことだけを目指して強い気持ちを持ち続けることは難しい。自分がそれに挑戦してみたいという気持ちはあるが簡単ではないはずだ。果たして自分はもう一度あの場所に戻れるだろうか。このシーズンオフにゆっくり休みカラダも気持ちもリセットした上で初心に戻って春のレースに向けて再始動したい。 |
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