初優勝、そして07年ツアー・オブ・東台湾

山田敦(S59,政経)
「いつか優勝の報告をできるとよいのだが。」今年1月に掲載された前回のコラムでそう書いた私ですが、おかげさまで今シーズンのシリーズ開幕戦、3月の北海岸ロードレースにおいて念願のクラス優勝を果たすことができました。そして4月下旬、シリーズ第2戦、3戦となるツアー・オブ・東台湾を走り終えました。シーズン前半戦、ここまでのレースレポートです。
1.シーズンオフ
 台湾のロードレースも冬の間はシーズンオフとなる。しかしこの間も選手たちは基礎体力を上げるようなトレーニングメニューでシーズン開始に向けて体づくりに励む。そんな中、今年1月に新竹縣長杯という小さなレースが行われた。私は出場しなかったのだがインターネットでレース結果をチェックして驚いた。自分と同じ45才クラスの上位入賞者に知っている選手の名前がわずか2人しかいない。優勝も2位も初めて見る名前。一体どういうこと?周囲の人間に聞いてみて事情が飲み込めた。このレースで上位に入ったのは今年新しく45才になる選手たち。彼らは昨年、激戦の40才クラスで戦い、苦しみ抜いて、それでもなかなか入賞できずに名前が挙がらなかったということらしい。彼らの昨年の成績をチェックしてみて改めて驚いた。彼らが今年45才クラスを走れば上位陣は総入れ替えとなりかねない。果たして今シーズン、このクラス3年目、47才になる自分は彼らと互角に競い合うことができるのだろうか?意外に自分も気が小さい。まだ一緒に走ってもいないのに自分一人が勝手に不安を抱き、心を緊張させていた。

 2月中旬、我が師匠、三浦恭資さんが来台した。私と同い年ながら昨年まで現役プロ選手として長年日本のロードレース界をリードしてきた人物だ。オリンピック2回出場の彼は昨年から全日本ロードレースチームの総監督に就任。昨秋のドーハアジア大会では萩原由美子選手が日本女子初のロードレース金メダルを取るなど指導者としても確実に結果を出している。今回は女子ナショナルチーム代表の一人、中京大学の和田見里美選手を帯同しての来台で台湾ナショナルチームとの合同練習が目的だ。2月13日、三浦さん、和田見選手が台中周辺の若い選手たちと一緒に合わせて20名ほどで台中をスタートしてノンストップ(食事、トイレ休憩もなし!)で台北県金山まで200kmを走ってきた。三浦さんから翌日のスタート部分に参加しないか、と誘われ翌早朝、私はノコノコと天母から陽明山を越えて金山へ下って行った。待ち合わせ場所の金山青年活動中心でメンバーと顔を合わせて驚いた。アジア大会トラック女子銀メダルの蕭美玉選手、男女各ロード代表選手など台湾ナショナルチームの現役代表選手たちが勢ぞろいしている。彼らはこの日も最高強度ノンストップで台中まで走って帰っていく予定。そのスタート部分、金山→関渡40km区間を一緒に走ることになった。

 自転車のロード練習は自分たちのレベルでもそうだが弱い者に合わせてスピードを落とすということがまずない。後れたら置いていかれるだけだ。金山の市街地から海岸線に出るといきなりトップスピード(少なくとも自分と女子選手にとっては)のローテーション走行になった。三浦さん、ちょっと何とか言ってやってよ〜、あまりの苦しさから思わず泣き言が出そうになるが三浦さんも私になど全くかまってくれない。それどころか、三浦さん自身も結構キツそうだ。しかし、北海岸の海岸線はまさに自分のホームグラウンド。細かい道の勾配も全部知っているから我慢のしどころはわかる。結果的に関渡まで切れずに集団走行に加わることができた。走りながら三浦さんや台湾人選手たちにお礼を言って関渡大橋を渡る彼らに別れを告げた。


ジャパン三浦監督、和田見選手と台中にて
 旧正月休暇中の一日、三浦さん、和田見選手、台中在住の友人、近藤さんと台中で一緒に練習した。途中の峠、上り300mでクライム勝負。重量級の近藤さんがまず離脱。中盤、和田見選手もかなり汗をかいている。これなら勝てると踏んでスピードアップ。和田見選手が後れ始める。そしてゴール直前の急坂で三浦さんが重いギアで一気にスパート。さすがにこれには付いていけず2番でゴール。「ワタミーっ、何やっとる、山田さんはお前のオヤジさんの年やぞ!」和田見選手、連日の厳しい練習で相当疲れていたのだろう。でも勝った(?)自分としては大きな自信になりました。付き合ってくれてありがとう。三浦さんからは、かなり走れるようになったがゴール勝負ではもっと重いギアを踏めるようにならないとダメ、とアドバイスをもらった。

 これまで自分は軽いギアを高回転で回すような走り方を目指してきた。しかしこの冬は三浦さんから教わった練習法に従い、急な上り坂を敢えて重いギアでこぎ上がるような高負荷トレーニングを取り入れて練習に励んだ。三浦さんのトレーニング理論は実に単純明快。長距離練習など必要なし。重いギアで自分を一気に限界域に追い込む。これ以上は危ない、と脳が危険信号を発したらそこからさらに踏み込んでいく。これを繰り返すことで脳の防衛本能が錯覚を起こし、結果的に走力のレベルアップが達成される。その甲斐あってか自分の走力が昨年よりもかなり上がっていることは間違いなさそうだ。
2.開幕戦、北海岸ロードレース
 3月25日、待ちに待った今シーズンの開幕戦、北海岸ロードレース。台北縣萬里翡翠湾をスタートし北海岸国道を三芝白沙湾で折り返し金山まで平地50km、最後は金山から大坪への上り5km、計55km、難度C級のレース。3年前、自分が初めてロードレースを走ったのがこの大会。2年目には初入賞かと思ったのも束の間、当日申し込みは表彰対象外で入賞が夢と消えたのもこの大会。また、昨年は落車による骨折で無念にも参加できなかった因縁の試合でもある。45−49才クラスは約80人の参加。エントリーリストにはライバル選手の名前がずらりと並ぶ。今年こそこのレースに決着をつけなければ。

 ロードバイクだけでも500人以上が参加するため、安全のため年齢別クラス毎に時間差でスタートした。あいにくの小雨模様だがコンディションとしては悪くない。コースは2月にナショナルチームと一緒にも走った我がホームグラウンドだ。クラス全体のスピードが落ちないよう平地部分では自分が積極的に集団の先頭を引く。力のある選手たちには前に出て先頭交代するようにさかんに声を掛けるが体力温存を決め込んで全く前に出ようとしない選手も多い。

 結局、平地50kmを走っても集団を分断できず大坪への上りにかかる時点でも30人近くが残っていたと思う。さあ上り勝負だ。残り5kmで高さ350mを上る。最初の急坂で一気に先頭に出た。去年までよりも重いギアをかけて立ちこぎしていく。上り始めて5分くらいで同クラスの後続選手が見えなくなった。このまま何とか逃げ切りたい。体の動きは申し分ない。しかしこのハイペースがゴールまでキープできるだろうか?先にスタートした若いクラスの選手を次々とパスしていく。何度も何度も後を振り返って後続を確認する。ついにこの時が来た。55km、大坪国小前のゴールラインを駆け抜ける。念願のクラス初優勝だ。結果的には2位の選手に1分以上、約300mの大差をつけるブッチギリの優勝となった。

 開幕戦で優勝したものの休んでいる暇はない。4月後半には自分にとって1年で最も重要な試合であるツアー・オブ・東台湾が迫っている。2日間で300kmを走るこのレースを目指して長距離における走力を強化していかなければならない。3月から4月にかけては週末毎にクラブの若手選手を誘って友人でエリートクラスを走る栗田さんが所属するクラブのロング練習会に出かけた。相撲の出稽古、剣術の他流試合、そんな感じだろうか。普段と違う環境に身を置いて自分よりもレベルの高い選手と競うことは何よりも力がつく。彼らの練習コースは台北→平渓→双渓→福隆→宜蘭頭城→北宜公路→坪林→新店→台北、160kmというハードなルートでアップダウンも厳しく巡航スピードは恐ろしく速い。途中に3回のコンビニ休憩が入るものの、トレーニング強度としては花東レース本番以上だ。2回目の練習では宜蘭頭城でほとんど力尽き、本気でバスで輪行して帰ろうかと思ったほどだ。しかし若い仲間たちに励まされて何とか台北まで帰ってきた。
3.ツアー・オブ・東台湾 第1日
 ツアー・オブ・東台湾、別名「花東比賽」のことを考えるとそれだけで息苦しくなるほどの緊張を覚える。それほどまでにこのレースを走るのは自分にとって依然として厳しく難しい。初日は花蓮→台東を海岸沿いに130km。2日目は台東→花蓮を内陸ルートで160km。この長丁場を全力疾走に近い状態で走りきらねばならない。未熟だった一年目は走りきるだけで精一杯、入賞は遥かかなた。骨折からの復帰戦となった去年はマイペースを守り初日クラス3位、2日目4位。3年目の今年こそ、何としても納得のいく走りをした上で大きな目標を達成したい。

 4月20日(土)、初日、花蓮→台東130kmのスタート。全体で430名、45才クラスは53名のエントリー。強敵がほぼ全員顔をそろえている。この中にはトラック競技でオリンピック2回出場の李福祥さん、ロードレースの元ナショナルチーム代表の蕭俊傑さん、昨年の年間チャンピオン楊徳康さんなども含まれている。最大のライバルは今年新しくこのクラスに上がってきた蕭さんで去年の大会でも激戦の40才クラスで上位入賞している。ほかにもこれまで何度もヒルクライムレースで勝てなかった山上りのスペシャリストたち数名など。オールラウンダーを自認する自分だが一つ間違えれば6位入賞も危ない。

 午前9時、気温28℃、快晴、やや追い風の絶好のコンディション。安全のため全体を三分割して2分間隔での時間差スタートとなった。我々45才クラスは25才、40才とともに最後にスタートした。国際レースを走るような10代、20代のエリート選手たちは最初の組で先にスタートしている。40kmで最初の関門、高さ300m牛山の上りにかかる。ここで大集団から抜け出して先発組の集団に追いつきたい。しかしここで力を使い果たして後半失速というのが最もマズイ展開だ。結局この峠を越えても前へ抜け出せず50人以上の大集団に身を置くこととなった。

 心拍数170前後の高速巡航が続く。80kmを過ぎるころから両足のふくらはぎの筋肉がつり始めた。毎年初日にはこういう状態になる。これは自分だけでなく、トップクラスの選手でもその多くが後半、下半身の筋肉の収縮(いわゆる足がつるという状態)に苦しめられることになる。そのたびに携帯しているマッサージ用スプレーを吹きかけてはだましだまし体を動かす。

 100kmを過ぎても集団の選手数は一向に減らない。120km、成功トンネルへの上りを先頭で強く上って集団を分断しようと試みたがこれも失敗に終わった。こうなったらゴールスプリントに賭けるしかない。ところがゴール前5kmで左ふくらはぎが最悪の状態になった。ふくらはぎの筋肉がカギでもかけたようにがっちりと固まってしまい全く動かない。順位も集団の最後尾まで下がってしまった。万事休す。それでも、もしかして、ともう一度スプレーをかけて右手でふくらはぎを揉み込んだ。


初日ゴールシーン
 残り3km、2km、1km、次々と表示板が現れる。ゴールスプリントに備え少しでも身軽にしようとボトルに残った補給飲料をすべて搾り出して捨てた。残り500mの表示を過ぎてコースは国道をはずれ都歴サービスエリアへの急な上りにかかった。ゴールまで300m。上り始めは10番手くらい。ありがたいことにふくらはぎは何とか回復している。もうこうなったらイチかバチか行くだけだ。さあ、これまでの練習の成果をすべて出し切って勝負だ。他の選手がフロントを軽いインナーギアに掛けかえる中、自分はフロントを重いアウターギアのまま立ちこぎで走りきることを選択した。三浦さん直伝の頂上ゴール必勝法の実践だ。狙い通りギアがかかればよいが、力尽きればそこで倒れてしまうかもしれない。先行する選手を続けて何人もゴボウ抜きにしていくと最後にあの蕭さんの背中が見えてきた。相手は元ナショナルチーム代表選手。こっちは本格的スポーツ未経験の元はボーっとしたただの肥満中年。残り100m、50m、まだ届かない。この時、私に抜かれた若い選手から「ラオパーンッ、後から来てま〜す!」と声がかかった。どうやら蕭さんの経営する会社の若い社員だったようだ。さらに必死に逃げる蕭さん。しかし、こちらは心拍数200の全開状態。もう完全にギアが掛かっている。絶対に逃がすものか。ゴール前30m、蕭さんを差しきった。そのまま約1秒の差をつけて集団内トップでゴール。ついに花東で勝ったのか、と思うと急に胸が一杯になった。しかし汗で水分は全部出てしまったのか、何とか涙をこらえることができた。ゴール後は2位の蕭さんと初めて言葉を交わしてお互いの健闘を讃えあった。また一人戦友が増えたことが何よりうれしい。

 初日ゴール後は台東のホテルにチェックイン。優勝の余韻に浸っている暇はない。2日目の成否は疲れた体を台東での一泊でどこまで回復できるかにかかっている。アミノ酸サプリメントや素人マッサージに疲労回復の願いを込めた。さらに持参の芋焼酎をロックで2杯。この日は同室の若い仲間と早目に就寝した。
4.ツアー・オブ・東台湾 第2日
 2日目も雲一つない抜けるような青空が広がった。花蓮に向かって北上する我々にとって逆風になることを除けばこの日も最高のレースコンディションだ。スタート直前、同クラスの某選手から、敢えてここには書かないがちょっと意地悪な皮肉を言われた。スポーツの世界でも全員が純粋なわけではない。負け惜しみなら言わせておこう。

 午前8時、2日目のレースが台東ナルワンホテル前をスタートした。この日も予想通り序盤から大集団を形成する展開となった。この日の自分たち25、40、45才クラスの集団はスタートから快調に全力疾走を続け、50km辺りで2分先発の30、35才クラス先頭集団をも吸収してしまった。ここで集団はさらに膨れ上がりまたも50人以上に膨れ上がった。90km、復路最大の難関、舞鶴峠200mの上り。ここで何としても集団を分断したい。昨日の40才クラス優勝、トライアスロン国内チャンピオンShane Dennisonのアタックに食い下がった自分を含む数人が峠を越えた時点で後続集団との間に100mくらいの差をつけた。このまま引き離したい。トップスピードで長い坂を下る。下りきって後を振り返る。何と後続集団が間を詰めてきている。作戦失敗。ゴールまで残り60km、今日もゴール前の上り勝負になりそうだ。

 とうとう花蓮まで戻ってきた。残り5kmで集団は30人近く。ゴール地点のダム湖、鯉魚潭への上りにかかる。昨日と同様、上り勝負なら勝てる自信はある。今日も行けると確信した。残り3kmの表示板を過ぎたその直後、前を行く二人の選手が進路争いをめぐり小競り合い。自分の直前を走る選手が隣の選手に小突かれてバランスを崩し落車転倒。避けられずこれに乗り上げ自分も落車。160kmを苦しみ抜いて最後に自分を待っていた結末がこの悲劇なのか。焼け付くようなアスファルトに投げ出された傷だらけの体を起こし、外れたチェーンを鷲づかみにして掛けなおす。「コノヤローッ!」、と(もちろん日本語で)一声叫んで追撃開始。

 初日のゴール勝負にも負けないくらいの全力疾走で集団を追う。しかし、花東ステージ優勝という台湾市民ロードレース最高の勲章を賭けた集団スプリントは圧倒的に速く、たった一人の追撃では全くかなわなかった。結果はクラス5位。優勝はスタート前に私に皮肉な一言を放ったヒルクライマーR氏。この借りはいつか必ず返させてもらおう。蕭さんはこの日も2位。聞けば45才クラスに上がった今年に賭けていたという。会社経営が忙しいので来年は多分参加できないだろうとのこと。さぞかし無念だったことだろう。


初日表彰式
 こうして今年の花東レースは終わった。初日ステージ優勝という結果を残せた自分は幸せだ。完全優勝はならなかったが日本人の自分が2日続けて勝つより結果的にはこの方が良かったのかもしれない。目標を遂げられなかった多くの選手が捲土重来、来年の大会を目指して新しい一年を走り始める。年間シリーズ戦のポイント争いでも現時点でクラストップに立った。気がついてみると自分が追われる立場に立ってしまったようだ。自転車レースは実に公平だ。かつてのオリンピック選手やアジア大会出場選手を相手に一市民ライダーが戦いを挑むことも可能な競技なのだ。どんなに基礎体力に優れていようと、豊富な競技経験があろうと、目標を失って厳しい練習を放棄したらその時点で一気に下り坂を転げ落ちることになる。果たして自分は今のこの緊張感をいつまで持ち続けられるのだろうか。それを失った時、自分は一体どこへ行ってしまうだろうか。でもそれを考えるのは止めよう。体力の続く限りライバルたちと共に走り続けたい。

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