山田敦(S59,政経) |
アマチュア自転車競技の中で今、最も人気のあるのがヒルクライムレースだ。日本でも全国各地でさまざまなヒルクライムレースが開催されている。乗鞍や富士山で行われる大会には応募者が殺到して数千人の出場枠が受付け開始直後に埋まってしまうという過熱ぶりだ。ここ台湾でも競技人口が急増しているようで、06年のレースは軒並み前年の2倍の参加者が集まり、各レースの参加者は1,000人規模にまで膨らんだ。私もこのヒルクライムに夢中になっている一人だ。台湾のロードレースを走るようになって3年。夏から秋にかけて組まれた大型ヒルクライム3連戦に出場した。
日本のヒルクライムレースは一般的に距離15〜25km、上り標高差1,000〜1,500mのコースで行われる。最も有名な乗鞍ヒルクライムが距離22km、上り1,200mだ。これに比べて台湾の3つのレースは圧倒的に長くて高い。3連戦のコースプロファイルは以下の通り。
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開催日 |
場所 |
距離 |
ゴール標高 |
上り標高差 |
第1戦 |
8/27 |
宜蘭縣太平山 |
22km |
1,900m |
1,600m |
第2戦 |
9/10 |
南投縣合歓山 |
55km |
2,775m |
3,275m |
第3戦 |
11/18 |
南投縣阿里山 |
62km |
2,250m |
2,250m |
それぞれが台湾を代表する山岳観光地だ。単純換算で日本のレースの倍以上の距離、高さを上ることになる。これらのルートは毎年行われるプロの国際レース、ツール・ド・台湾の山岳ステージとしても頻繁に使われており我々アマチュアにはかなり厳しいコースと言える。 |
◆ 第1戦 太平山ヒルクライム
8月27日、晴れ、気温25−20℃、参加者約1,100名
宜蘭縣、距離22km、ゴール標高1,900m、上り標高差1,600m
スタートからゴールまできれいにほぼ一定の傾斜が続くため平均傾斜が7%と急な割には走り易い。 |
当初6月に予定されていた大会が台風による道路の崩落で順延され8月末の開催となった。前週に一回試走し念願のクラス優勝(45−49才)を狙ってスタートラインについた。スタートから同じクラスの選手を先行させることのないようかなりのハイペースで走る。5km地点からこの日初めて見る選手と同クラスの先頭を引く。心拍180は自分のペースを少し超えている。ゴールまでこのペースを持続できるとは思えないが体はよく動いている。どちらが先に力を使い果たしペースダウンするか、意地の張り合いのような一進一退の競り合いが続く。そして11kmの中間地点。右のわき腹に普段は感じることのないイヤな痛みを感じる。まずい、と思ったその時、相手が急勾配を利用してスパートした。痛みを我慢して食い下がりたいが差はジリジリと広がるばかり。残念だがここは一刻も早く2位キープのためのペースに切り替えねば。心拍を175まで落としてそれ以上は失速しないように心がける。しかし気持ちとは裏腹、体が思うように動かない。その後、同クラスのゼッケンをつけた数人の選手に抜かれ、疲労困憊のゴール。前半の飛ばし過ぎがたたって後半失速の典型的な失敗レース。成績1時間41分12秒、6位入賞も逃したかとがっかりして表彰式も待たずに帰途に着いた。翌日、実際にはクラス5位入賞/完走39人であったことを知った。 しかし内容としては06年の出場レースの中では最も反省すべきものだった。
緒戦の太平山で失敗してから朝のトレーニングを完全にヒルクライム専用メニューに変えた。それまで毎月、距離1,000km走ることを目安にしてきたものを9月からは、距離1,000kmとともに高さ2万m上ることにし、いかに多く上って筋力を付けるかに重点を置いた。ひと月と言っても毎日走れるわけではなく雨の日、出張や早出の日には乗れないので走れるのは月に20日ほど。 |
◆ 第2戦 合歓山ヒルクライム
9月10日、雨、気温22−8℃、参加者約1,000名
南投縣、距離55km、ゴール標高3,275m、上り標高差3,275m
スタート10kmまでは平坦、その後はずっと急な上り。15%以上の激坂セクションも多く最高難度。 |
自分の中では春のツアー・オブ・東台湾と並んで最も重要なレース。アジアで最も過酷なヒルクライムと言われるこのレースには前年も出場した。この時は絶好調で総合20位、クラス2位と、これまでのレース経験の中でのハイライトとも言える成績を残している。相性の良いこのレースで何とかクラス優勝を果たしたい。そしてもう一つ、同クラスのライバルで親友の林文明さんと久しぶりに対戦できることが何より楽しみだ。彼は持久力、瞬発力ともに優れた経験豊富なベテラン選手。年だけ取った新米選手の自分とは走りの次元が違う。スプリントレースもロングレースもいつも彼にはかなわない。05年の年間クラスチャンピオンでもある。06年もここまで彼とは3戦3敗だ。だが前年のこの大会では唯一林さんに勝っている。(このレースの詳細は「合歓山ヒルクライムレースに参戦して」をご覧ください。)その時なぜ彼に勝てたのかは今もわからない。できることなら今回もレースの成績とは別にお互いが力を尽くしてもう一度二人だけの勝負をしてみたい。
埔里をスタートして平地セクションを10km、霧社への上りにかかって同クラスの先頭集団は早くも私、林さん、そして見知らぬ外人選手の3人となった。この長身痩躯の外人選手がかなりの力の持ち主であることは私にも林さんにも一目でわかった。細身だが自転車に必要な筋肉をきめ細かく全身にまとっている。林さんと相談して彼を先行させることにした。この選手がこのまま前半のペースで上り続ければ今回も残念ながらクラス優勝はない。林さんと二人でわずかに言葉を交わしながら一定のペースで上り続ける。前回は45kmまで林さんと一緒に走って残り10kmで私が林さんをかわしたのだが。
18km、1,100mの霧社から冷たい雨が降り出して一気に気温が下がり始めた。体の調子は70点くらいか。気温15℃。まだ寒さは感じないが心拍数175なのにほとんど汗は流れない。27km、1,800m清境農場がコース全体のほぼ中間点。ここで林さんがわずかにペースアップ。キツイなあ、と顔がゆがむ。脚も思うように回らない。林さんとの間合いが少しずつ広がる。5m、10m、20mいくつかのカーブを曲がるうちに林さんの後姿が視界から消えた。追撃不能、、、これで2位もなし。これまでの経験から言ってこういう感じで失速したレースでは後続の選手にも抜かれることが多い。何とか3位をキープするような走りをしなければ。
距離を重ね高度を増すごとに雨脚は勢いを強める。40km、2,200mを過ぎるころには気温は12℃くらいにまで下がり風も出てきた。補給飲料のボトルにもほとんど手が伸びない。ひとたび寒いと感じるとこれを我慢して走り続けるのがかなり辛いものとなる。45km、2,500mでバックポケットからウィンドブレーカーを取り出して着込んだ。さあ最終盤の10km、高度差700mをどう走りきるか。「百里の道を行く者は九十里をもって途半ばとすべし。」ロングレースとは体力的に正にそんな感じだ。標高3,000m近い高地に至って、ここまで心拍数170〜180の運動を3時間以上続けているので当然体力も限界に近づいている。前回はあまり感じなかった空気の薄さから来る息苦しさも確実に感じるようになってきた。
残り5km。前方の高みに紺色長袖ジャージの選手が見える。あれは林さんでは。そんなはずはない。まさかそんな。でもひょっとして。塩分補給と疲労回復の期待を込めて携行している梅干を舐めて追撃開始。まだ距離にして300mくらいはある。しかしどうやらこの選手は明らかにペースダウンしているようでカーブで見え隠れしながら走り続けるうちに少しずつ、しかし確実に間隔が詰まってきた。間違いなく林さんだ。こちらは途中でウィンドブレーカーを着込んでいるので直後に迫るまで林さんは自分に気づかないだろう。
52km、3,100m、ゴール直下、昆陽の大カーブでついに林さんを捕らえた。「林さん加油!」と声をかける。「体力用完了。」と林さんは少し辛そうに力なく笑った。申し訳ないと思いつつも一気に彼を抜いた。残り3km、何度も後を振り返り林さん、同クラスの選手が背後に迫っていないことを確認しながら強い向かい風の中、ゴールを目指して黙々とペダルをこぐ。そして55km、3,275m、強い雨風の中、武嶺の峠にゴールイン。この時、気温8℃。ずぶ濡れのままヒーターを全開にしたクラブのバンに逃げ込んだがしばらくは震えが止まらず口もきけないほどだった。ここが9月上旬の台湾だとはとても信じられないほど厳しい天候の中でのレースで制限時間6時間以内での完走者は参加者のわずか3分の一にとどまった。成績3時間43分2秒、ロードバイク総合39位/完走257人、45−49才クラス2位/完走20人。クラス優勝は先行した外人選手で私よりも約5分前にゴールしていた。林さんも懸命にがんばって私の直後21秒遅れでゴールイン。またもクラス優勝は逃したものの自分としては林さんに2年連続で勝てたことが何よりうれしかった。 |
◆ 第3戦 阿里山ヒルクライム
11月18日、晴れ、気温22−20℃、参加者約1,100人
南投縣、距離62km、ゴール標高2,200m、上り標高差2,250m
前半、最終盤に長い上り。アップダウンを繰り返す中間部分20kmは完全な高速ロードレース。 |
このレースは06年のロードレースシリーズ選の最終戦を兼ねている。私のここまで7戦(うち5戦に出場)の獲得ポイント48点は総合15位/1,072人、45−49才クラス3位/104人に当たる。難度の高いこのレースではクラス優勝者に20ポイントが与えられる。誰もがここで好成績を収めて少しでもランクアップして1年を締めくくりたいと考えている。レース前に発表されたエントリーリストには同クラスでシリーズポイントトップの楊徳康さんの他、かなり手強い選手たちの名前がずらりと並んだ。残念ながら林文明さんは欠場。
楊さんには春先のツール・ド・東台湾の初日、2日目に勝って以来、このところ3連敗中だ。私の参加しなかった直前の彰化でのスプリントレースでもしっかり優勝しており絶好調。ヒルクライムでは基本的に軽量な選手のほうが有利だ。177cm、72kgの私はヒルクライム参加選手の中では大柄の部類に入る。対して楊さんは見たところ155cmくらいでしかも痩せ型。最も小柄な部類の選手だ。私を含め同クラスの多くの選手がこの楊さんを優勝候補の筆頭としてマークして走ることになる。
薄日の差す絶好のコンディションの下、午前7:30、嘉義市郊外の台湾民俗村をスタートした。初めて走る阿里山公路は沿道の風景がすばらしい。路面も良く非常に走りやすい道だ。かなり後方からのスタートだったためどの選手が先行しているかよくわからないまま少しずつ順位を上げていく。7km地点から距離20kmで高度差1,000mを上るヒルクライムセクションに入る。楊さんは50mほど前にいる。作戦としては、前半は彼を逃がさないように視界の中に捕らえながら無駄な体力を使わないようにこのままこの位置をキープする。そして最終盤の上りで彼を捕らえたい。
前の2レースで現在の自分にとって、長時間にわたってペースを持続できる最適心拍数が170〜175くらいであることを確認できている。この日のレースでも心拍が180を超えないように、また170以下に下がらないように注意しながら走り続けた。
20km、900m地点。楊さんとの間合いは依然として50m。彼はまだ私の位置を知らないはず。ヘアピンカーブの上と下。一人の若い選手を抜いた時、その選手から「山田先生、ハオリーハイ!」と大きな声がかかった。顔見知りの選手だ。あーぁ、今の一声で楊さんに自分の位置を知られてしまったな。バレた以上はしょうがない。一気に行くか。彼との間合いを詰める。横に並んで「楊先生、加油!」と声を掛けた。だが返事がない。楊さんの表情が少し引きつっている。どうやら調子が良くないようだ。意識的にペースを上げると彼との差がぐんぐん広がった。今日はひょっとして行けるかも。
27km、1250mからは20kmにわたって平坦路とアップダウンを繰り返す高速セクションに入る。見晴らしも良くダイナミックな山岳景観を楽しめる阿里山公路のハイライトだ。長い下り坂では時速60kmくらいになるのでブレーキングやコーナーリングにも細心の注意が必要になる。下り部分でも恐怖心を堪えて気を抜かずに踏み続けて行かないと順位をキープできないのでここでも休めない。
50km、1600m十字路の集落は阿里山公路がただ一箇所、有名な阿里山鉄道と交わるポイントで小さな鉄道の駅がある。ここを過ぎると最終盤のヒルクライム。ゴールまで距離13kmで650mを上る。すでにスタートから2時間半あまりを走り続けて体力的にはかなり消耗している。自分も周りの選手も一定のペースをキープするだけで精一杯だ。立ちこぎをすると太ももやふくらはぎの筋肉が攣りそうになる。
残り3kmの表示板。2km、1km、、、どうやら背後に同クラスの選手はいない模様。最後の気力を振り絞ってゴールを目指す。63km、2250m阿里山遊楽区のゲートを過ぎてゴールラインを超える。やや力強さには欠けたかもしれないが力は出し切れたと思う。3時間15分40秒、念願のクラス優勝か!
だが表彰式直前に発表された45−49才クラスのリザルトには私の前に2人の選手の名前が。優勝は高雄の選手で3時間6分、2位は新竹の選手が3時間8分でどちらも初めて見る名前。大人数スタートの混乱から早めに抜け出し先行した2人の選手がいることを知らないまま走り続けていたわけだ。あれだけ苦しい練習を積んできたのにまたも優勝には手が届かなかった。世の中にはまだまだ強い選手がいるなあ、と改めて強く感じた次第。ちなみに楊さんは私から3分遅れの第5位だった。尚、このレースでマウンテンバイク50−55才クラスに参加した52才の選手がレース中に心臓麻痺で倒れそのまま亡くなられた。同じレースを走った自転車仲間の一人として心よりご冥福をお祈りしたい。
阿里山でのポイントを加算してロードレース市民クラス年間ランキングをクラス2位/130人、総合13位/1,425人
に上げて今シーズンを締めくくることになった。ずっとレース日程に追われるように練習を続けていたのでやっと終わったか、という感じでホッとしている。大小合わせて10レースを走ってクラス2位が2回、3位が4回。優勝できなかったのはライバルの選手達に比べてまだ何かが足りないからだろう。07年は新しく45才になる2才年下の選手にも強豪が多いのでクラス優勝はさらに厳しくなる。「年齢を言い訳にしないこと」がモットーの私としては今まで以上に頑張るしかない。
レースのない冬の3ヶ月で基礎体力を作り直して3月からのシーズンに備えたい。いつかこのコラムで優勝の報告をできるとよいのだが。 |