ツアー・オブ・東台湾ロードレース

山田敦(S59,政経)

 自転車を取り上げられた自転車乗りはつらい。2月20日の早朝練習中、犬に飛び込まれて大転倒。前輪を支点に前方へ一回転、頭と右肩から路面にたたきつけられた。ヘルメットは無残にも割れてしまった。市立陽明医院で診察を受けた結果、右肩開放性骨折、全治3ヶ月。レントゲンで見ると右腕の付け根側の骨に深さ3cmくらいの楔形の裂け目がはっきりと現れている。担当医に私が最初にした質問はもちろん、「自転車には乗れますか?」答えは「運動は3ヶ月間禁止。」と取り付く島もない。皮肉なことに3月からのレースシーズン開幕に向け冬の間、地道に練習してきた甲斐あってこの時カラダは絶好調だった。医師の言葉が真実なら今年前半のシーズンを棒に振ることになる。自分はこの一年間、ある一つのレースのために練習を積んできた。そのレースで納得のいく走りをするためだけに努力してきた。他にも多くのレースを走るがそれだってこのレースを走るためのトレーニングとさえ言える。それほど自分にとって重要なレースが4月に行われるツアー・オブ・東台湾(花東)ロードレースだ。

 花東(ファートン)という言葉を聞くと台湾で自転車競技をやっている人間は皆、そのレースの過酷さ、難しさを想像し、あるいは思い出しある種の緊張感を覚えるはずだ。通称花東(ファートン)、ツアー・オブ・東台湾ロードレース。初日に海岸線で花蓮⇒台東130km、2日目は内陸線で台東⇒花蓮160km、計290kmを走るアマチュアレーサー憧れの伝統ある自転車レースだ。昨年はじめてこのレースに参加した私はコースの長さ、過酷さ、レースのレベルの高さに全く歯が立たず、自分自身の経験不足、戦略不足をいやと言うほど思い知らされ完全に打ちのめされた。05年5月1日、ゴール地点の花蓮鯉魚潭、炎天下2日間290kmのレースを何とか完走したもののあまりの疲労で全身の筋肉が痙攣し自力で自転車から降りることさえできなかった。体力的にもキツかったが思い通りの走りができなかった悔しさでしばらくは口もきけず放心したようにその場にへたりこんでしまった。目標としていた年齢別クラス6位入賞ははるか彼方。あの日の敗北感を思い出すと今も胸が苦しくなるほどだ。以来、1年後にこのレースで雪辱する、納得の行く走りをした上でクラス入賞することが私のロードレース競技、最大の目標となった。

 筋力や持久力強化のためには運動強度の強弱を付けた走り方や体の回復を考えた計画的なトレーニングが必要と言われている。しかしやはり強くなるためにはより多く走る必要がある。この1年間、毎月必ず1,000km以上練習することを自分に課し実行してきた。毎日の走行ルート、走行距離、上り標高差、消費カロリーなどはノートにしっかり記録している。その上でできるだけ多くのレースにも出場してきた。

 レース用自転車はとても効率の良い乗り物なので体さえ慣れれば1日に100km、あるいは200kmを走ることもそう難しくはない。しかしタイム、順位を競うレースとなると話は全く違ってくる。自転車ロードレースはマラソンと似ている。基本的に長距離、長時間となるため大事なのはペース配分だ。最悪なのが前半全力⇒後半失速というパターン。失速後のペースダウンはコントロールが利かない。昨年の花東での自分の走りがまさにこれだ。逆に良いレースとはスタートからゴールまで自分のペースをコントロールした上でしっかりムダなく走りきることができた時だ。レースでは出場を重ねるごとに失敗、成功、いろんなケースを経験し昨年夏以降は出場した全レースでクラス入賞を果たしてきた。

 幸い骨折と言っても服の脱ぎ着や歯磨きがしにくいくらいで日常生活にそれほど支障はない。しかし、しばらくレースは諦めるにしても全く運動をしなければこれまで鍛えた心肺機能、脚の筋力などは瞬く間に衰えてしまうだろう。また元々太りやすい体質なので体重増加が心配だ。このままレースを止めるような無様なマネだけはしたくないので、体力、体調はできるだけ維持したい。というわけで骨折事故の2日後からスポーツジムで室内自転車を漕ぎ始めた。これなら右肩をかばいながらでも何とか乗れる。でもレース用バイクに慣れた体にはどうもしっくりこない。全然楽しくないのでせいぜい1時間しかもたない。消費カロリーは6〜700kcal程度か。 これでは普段の半分の運動量だ。このままでは体力が低下するばかり。

 3月12日のシーズン初戦、北海岸ロードレースを無念ながら欠場した。その晩、プロ選手の三浦恭資さんと夕食を共にした。三浦さんは私と同学年ながら今も現役のプロ選手。ソウル、シドニーのオリンピックに出場した日本ロードレース界の重鎮で現在も全日本ロードレースチームのコーチを務めている。ニックネームはKING。プロゴルフで言うと青木功のような存在か、いや杉原輝夫かな。この時はプロの国際レース、ツール・ド・台湾出場のための来台中だった。わがクラブの主催者、黄さんも世界選手権、アジア大会などに出場したかつての台湾ナショナルチーム代表選手だ。その二人の再会を祝した食事会にもう一人台北在住のアマチュアレーサー栗田さんとともに通訳を兼ねて呼んで頂いた。栗田さんも周囲の台湾人から尊敬される上級レーサーで非常にタフで強い選手だ。また私の自転車レースの先生でもあり普段からいろいろと教えてもらっている。私はそのお返しに独身の栗田さんには時々根拠に乏しい恋のアドバイスとかをしている。

 三浦さんは去年の花東の総合優勝者で今年の花東にも出場する予定だ。レースでの走りもスゴイが自他共に認めるファニーガイで話が面白い。若いときの苦労話などを面白おかしく聞かせてくれる。酒も強い。三浦さんはプロレーサーなので落車や骨折の経験が腐るほどあるらしい。その三浦さんいわく、「山田さん、まだまだ時間はある。諦めずにレースをめざして。いろいろアドバイスできると思う。」レースまで1ヶ月、あまり自信はないが三浦さんの言葉を信じてやるだけのことはやってみようと決めた。以後、大阪の三浦さんとメールで頻繁に連絡を取り合った。短時間で効率よくできる練習方法、レース前の体調の調整、長距離レースにおける栄養補給など、どれも説得力がある。これを万全の体調で実行できたらな。

 今春、高1から日本で一人暮らしをしていた長女が大学に進学した。3月から4月にかけては卒業、部屋探し、引越し、入学と、私も日本との間を何度も慌しく往復した。しかし肝心なときに骨が折れているので重いものは全く持てない。何をやるにも半人前の役立たずで、父親としては実に情けない。日本にいる間は寒いしスポーツジムはないしでトレーニングが全くできなかった。レースは4月15、16日。残り時間が1日ずつ少なくなっていく。焦りは募るばかり。基本的に楽天家の私だがさすがにこの時期はかなりテンションが下がった。

 4月6日、寒い日本から戻った翌日、公道練習を再開した。故宮の奥の風櫃嘴という600mほどの峠へ登ってみた。普段なら心拍150以下で楽に登れる坂でも170くらいに上がってしまい苦しい。心肺機能が低下している証拠だ。これじゃ自転車を始めたころの体力に逆戻りだ。だけどやっぱり外で乗ると気持イイ。しかし右肩に痛みや違和感はなく振動が心配だった下りのブレーキングも問題ないようだ。レースまであと1週間。気休めに北海岸1周100kmのロング練習を一本。「レース本番に疲れを残さないように調整を終えること。」三浦さんのアドバイスに従いその後の数日はこれ以上筋力を落とさないよう軽く陽明山へ登りレース3日前にトレーニングを打ち切った。心拍は少しずつだが1日ごとに改善(低下)している。

 レース前日の4月14日午後、国内線飛行機で花蓮に入る。体のコンディションとしては70%くらいだろうか。練習不足はいかんともし難い。肩は大丈夫だろうか?こんな状態で290kmを走りきれるだろうか?不安ばかりが募りなかなか寝付かれずやや睡眠不足気味でレース初日の朝を迎えた。 無情にも暗いうちから細かい雨が降り出していた。

 スタート前、三浦さん、栗田さんに「がんばります。」と挨拶。多くの台湾人選手からも「山田さん、もう大丈夫?」と声をかけられる。このところ山田の名前がレース会場では結構売れている。今回は骨折しているのでクラス上位は無理だろうと噂されているようだ。まあ自分でも無理だと思う。目標は控えめに完走ということにしておこう。

 午前9時総勢300名強の選手が一斉にスタート。私と同じ45−49歳クラスには29名が出場している。気温20℃、スタート早々雨足は強まり完全な雨天レースとなった。暑さからは開放されるが路面が滑りやすく転倒の危険が高まるのでレースとしての難度は高まる。水を飲む、補給食を摂る、サングラスの曇りをぬぐうという細かい動作にも一瞬たりとも気が抜けない。パンクの危険も高まる。

 初日の花蓮⇒台東は海岸沿いの国道11号線を南下するダイナミックで美しいオーシャンビューを満喫できる何とも贅沢なコースだ。しかし雨のレースでは景色を愛でる余裕などもちろんない。この道をレースで走るのはこれが3回目。基本的には平坦コースだが地図ではわからない小さなアップダウンが繰り返され体力を消耗する。心配していた風向きだが北風でまずは完全な追い風だ。左手に太平洋を見下ろしながらの高速走行が続く。今日はいいが明日は逆風で大変だ。

 レース本番に際して三浦さんからは2つのアドバイスをもらっていた。
@ とにかくマイペースを守ること。
A 空腹感を覚えないよう、少しずつ補給食を食べ続けること。
これを確実に実行すれば完走はできるはず。だがレースで一番難しいのがこのマイペースを守るということだ。これはゆっくりマイペースということではない。回りの状況を観察しそれに合わせて集団走行しながら自分のペースを守るということだ。取り残されての一人旅では意味がない。また全力疾走に近い状態で物を食べるというのも実はそう簡単なことではない。

 ロードレースは集団走行が基本だ。力の合った他の選手と集団を組んで風圧をまともに受けて負担の大きい先頭の役目を交代しながら全体が一つの弾丸のような形で走る。集団の人数が多いほど前進気流が強くなりハイスピードをキープできる。単独走行ではずっとまともに風圧を受けてしまう。心拍は170前後とややが高いがいいペースだ。依然として雨は降り続いているがもうそれは気にならない。「マイペース」に近い走りができている。

 中盤を過ぎるころ私はペースの近い7、8人の選手と小集団を組んで走っていた。この時点で自分より前にいる同クラスの選手は多分3人だ。一人はニュージーランド人のPaul Raymondさん、クラス優勝の常連だ。2人目は台湾を代表するトライアスロン選手の陳春發さん、このレースの主催者団体の理事長でもある。この二人が圧倒的に強い。100km地点、前方に見慣れたうしろ姿を発見。孫家春さんだ。長身痩躯の選手で実に走りが美しくロングレースにめっぽう強い。孫さんは前の集団から落ちてきたようだ。今日は調子が悪いのかな。残り30km。これなら彼をかわせる。

 小集団は孫さんを吸収して巡航を続ける。しっかり補給食、水分を摂っているので疲れは感じない。残り15km、成功の手前、三仙トンネルへの登りで孫さんを切ろうと軽くスパートしてみた。ところが孫さんはしっかり付いてきた。どれほどの余力を残しているのか全くわからない。6人の集団でゴールに向かって淡々と走り続ける。残り2km、1km、そして500mの表示板、さあラストスパートだ。ゴール地点、都歴サービスエリアへの急な登りスロープを全開で駆け上がる。小集団6人の中では先頭でゴールした。3時間08分27秒、クラス3位、総合92位。初日としては90点の出来だ。ケガのことを考えれば出来過ぎといっていい。

 レース2日目、疲れていたはずなのに暗いうちから目が覚めてしまいこの日もやや睡眠不足。激しい雨音が部屋の中まで伝わってくる。初日の疲れから来る筋肉痛などはなく体調はまずまず。スタート2時間前の午前6時には炭水化物中心の適量の朝食を摂り終える。高カロリーのペースト食品、一口羊羹、チョコレートバー、梅干など初日同様、十分な量の補給食をサドルバックに詰め込んだ。

 内陸の国道9号線を160km北上する2日目は午前8時に台東をスタートした。三浦さんが走りながら近づいてきて「風が強いから人の後ろに入って走るように。」と声をかけてくれる。昨日と同じ北風なので花蓮へ北上するには完全な逆風となる。しかし先頭大集団はかなりのハイペースをキープして移動を続ける。20km、30kmトップグループの有力選手たちが集団のスピードをコントロールしている。地形のアップダウンに合わせ時に速く、時に遅く。この緩急の波に翻弄され、力のない者から少しずつ脱落してゆく。ここで問題発生。風雨が強いのと気温16℃と昨日よりも4℃ほど寒いのとで尿意を催してきた。通常のレースでは発汗量が多いのでどれだけ水分を補給してもまずそういうことはない。初めての経験だ。多分ほとんどの選手が同じ状況にあるはず。さあ、どうしよう。

 スタートから60km。先頭集団は100人強。しかし自分にはややペースが速すぎる。このままこの集団についていくべきか。前半で力を使い果たし後半失速した昨年の苦い経験が頭をよぎる。マイペースをキープするため余力を残して自らこの集団から離れるべきか。ここで私は後者を選択した。集団から下がって後ろから来る小集団を待つことにした。集団から離れた私はまず小用を足そうと考えた。スピードを落とし右の路肩に停まろうとした瞬間、傾斜して濡れた路面にタイヤを取られた。転倒、路肩にひっくり返った。左ひざを擦りむく。またやってしまった。あまりにも不用意だ。これは恥ずかしい。だが起きてしまったことはしょうがない。幸い自転車にダメージはない。起き上がって用を足し走り始めるまでに2、3人の選手に抜かれる。

 強い向かい風で一人ではなかなかスピードに乗れない。早く後ろの集団が追いついてくれないか。先頭を交代しながらの集団走行なら一気にスピードを上げられる。ロードレースのセオリーだ。しかし80km、90kmまだ後続が来ない。100kmを過ぎて前から落ちてくる選手を何人か捕らえる。そのたびに「俺と組まないか?」と尋ねるが残念ながら彼らに余力は残っていない。120km、130km、ゴールの花蓮はもう目の前だ。去年はこの辺りでもう意識朦朧の状態だった。逆風で苦しいが体は全く問題なく一定のペースをキープできている。これだけ体が動くなら、、、60km地点で身を引いた判断が悔やまれる。

 花蓮鯉魚潭は標高150mの山懐にある美しい湖だ。ゴールまでは約5kmの緩い登りだ。普段なら何でもないが300km近く走った後の体には結構キツイ。去年はここで全く体が動かなかった。でも今年は大丈夫。ここで前の選手を二人抜いた。そしてゴール。結局60km地点からゴールまで100kmを一人旅してしまった。2日目4時間51分13秒、クラス4位、総合105位。60km地点で自ら下がるという行動を起こす前に後ろの様子をもっとよく確認すべきだった。結果としてこの時自分より後にいたのは既に力を使い果たしてしまった選手がほとんどだったわけだ。また一つ勉強になった。2日目は70点の出来。

 終わってみればケガの影響をほとんど受けずにレースを走り終えることができた。2日間トータルでクラス3位、総合95位は十分納得できる成績。個人のシリーズポイントもかなり稼げたしクラブの団体戦ポイントにも貢献できた。レース前に十分な練習ができず体に疲れが溜まっていなかったのと普段より謙虚に走れたのが良かったのだろう。もしも万全の体調で自信満々に走っていたら何か別の失敗を犯していたかもしれない。今回はケガの巧妙ということか。

 ロードレースは走るたびに学ぶことがたくさんある。すべての経験が次のレースの肥やしになる。練習の成果が結果にはっきりと現れるのでやりがいがある。時に不運に見舞われ結果を出し切れないことはあってもマグレや偶然で好結果が得られることは絶対にない。強くなるためには練習するしかない。これから秋まで毎月レースが続く。まだ表彰台の一番高い位置に立ったことがないので肩が完治したら今年は是非ともクラス優勝を狙ってみたい。そして来年の花東、どこまで戦えるかこのショボイ体を鍛えなおして再挑戦したい。


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