「文化のるつぼ、台湾。」 酒井麻友子(法在籍、台湾大学留学)
 もうすぐ、27日をもって私の台湾留学は終わろうとしている。たったの半年間だったが、随分色んな事を経験できたように思う。中でも一番忘れられないことは、友人と二人で南部に旅行した時のことである。夜23時半、階段や床は人であふれかえり、扇風機のついた蒸し暑い電車に乗って、6時間かけて南部を目指した。着いた先は屏東。そこで原住民の暮らす山に行き原住民の生活について知る機会を得た。台湾に原住民は主に12種族いるのだという。言葉や、衣装や、踊りがそれぞれ違い、独自の生活様式を持つ。特に踊りによってその特長が分けられている。そうは言っても、最近では教育の統一化が進み、自分の民族の言葉を話せなかったり、踊りが踊れかったりする若者も増えているのだという。

 私はそれを聞いて、ふと台湾の幼稚園の話を思い出した。近頃台湾の幼稚園では、英語教育が盛んで、英語と国語の両方を使って幼児に教育をする幼稚園がほとんどで、英語教育がないと生徒が集まらないのだという。また、日常生活の中で子どもに英語で話しかける両親も増えてきているのだそうだ。そうやって英語に力をいれているせいか、最近では台湾語を話せる子どもがだんだん少なくなってきているそうだ。一方で、南部では、ほとんどの人はまず台湾語で話しかけてき、こちらが外国人であると分かると国語を使って話しかけてきた。また、ある時、台湾人の友人宅を訪ねた時の話であるが、友人の祖母にあたる人と話をした。その方はとても流暢な日本語を話され、台湾人とはとても思えなかった。しかし、その方は北京語を話すことはできず、台湾語か日本語しか話せないため、台湾語が話せない友人とは母親の通訳を通じて会話をしていた。

 言葉一つをとってみても、台湾の文化は非常に多様であることがよく分かる。言葉ばかりでなく、衣食、宗教などをとっても様々な文化がこの国に同時に存在している。歴史的な事柄がからんで、もともと多様であった台湾の文化はもっと多様になったのであるが、上に上げた言葉の例のように、その多様性は時代と共にまた形を変え続けているのだということも実感する。

 私は、台湾は交差点のような所であると思う。色んな言葉が行き交い、色んな人がそれぞれの道に足早に進んでいく。そんなイメージである。色々な問題を抱える中で、これから先台湾はどうなっていくのだろうか、と考える時、私はいつも台湾人の友人がよく言っていた「一定有辧法」という言葉を思い出す。「きっと方法があるはずだ」という意味だが、どんな状況にあっても、悲観することなく、「一定有辧法」と信じて、困難にも前向きに立ち向かっていた友人の姿と、台湾の姿がなんとなく重なるからだ。

 半年間の台湾留学を通して感じたことはまだまだいっぱいある。帰国したら、台湾について自分なりに感じた事を忘れないうちに、台湾に関する本や雑誌をたくさん読みたいと思う。日本で紹介されている台湾と、自分が感じた台湾と、果たしてどこまで一緒でどこまで違うと思うのかを、今少し楽しみにしている。
このウィンドウを閉じる