■講演テーマ「台灣の主体性を確立する道」 |
台湾は400年来、ずっと外来政権に統治されてきた。これは、台湾を故郷とする私にとって耐え難いことだった。台湾を外来政権の軛(くびき)から脱け出させるには、台湾人が台湾の行く末を決めると同時に、自分の意見を自由に表明できる民主的な自由社会を建立する必要があった。そのためにまず台湾人が肝に銘じなければならないのは、夏目漱石の言う「則天去私(自分を捨てて公のために尽くす)」ではなく、「則私去天」である。これは、公よりも私を優先せよ、という意味ではなく、まずは自分が何者かという足元を固めることが肝要であるということだ。自分が何者かということが曖昧なままでは、強固な台湾アイデンティティーは生まれてこない。 |
中国は5000年来、退歩と進歩を繰り返すだけの「託古改制」の国であった。連綿と続く王朝も、所詮は前の王朝制度を受け継いでいくだけで、その制度を維持するための「法統」から外れることはない。これはまさにシンガポールのリー・クアンユー氏が採った「アジア的価値」の路線であり、将来的な国家の発展は望めない。私が何よりも尊重するのは「世界的価値」である自由と民主だ。だから私は、台湾が採るべきは「脱古改新(古い制度を打破し、まったく新しい制度に作り変えるべき)」の道だと主張する。「脱古改新」の道を歩んでこそ台湾ははじめて「華夷秩序」に代表される「ひとつの中国」の呪縛から脱け出すことが出来る。 |
私は総統在任中の12年間、台湾をいかにして民主国家として生まれ変わらせるかに心血を注いできた。当時から、台湾と中国の国家体制の矛盾、法律上の内戦状態の継続、国民党内の保守勢力の反対、メディアの攻撃など、文字通り息つく暇もなかった。とはいえ、私はどうしても台湾の民主化を成し遂げなければならないという信念があった。その信念を得たのは、ひとつはキリスト教という私の信仰もあるが、もうひとつは幼い頃から受けてきた日本の教育だ。若いころ、貪るように読んだ哲学書のひとつ、ニーチェの「ツァラトゥストラかく語りき」で、ツァラトゥストラは「人間はいかに超越すべきか」と言った。私は自分自身という個人を超越して、台湾という国家や国民という公のために尽くさなければならないという信念を持って仕事に邁進してきた。台湾に民主社会を打ち立てられたことは何よりの誇りと思っている。それを支えたのは、自分を超越した「私は私ではない私」という信念であった。 |